サンクリからグアテマラ各地まではツアーバスがたくさん走っていて、バスの手配も韓国人のSくんがしてくれた。にもかかわらず、自分の分のチケットを買い損ねたので(タイミング悪く、自分の分を購入しようとした時には売り切れていた)、結局別のバスでグアテマラに向かうことになった。私の乗るバスの方が出発が早かったのに、結果的に彼のほうが早く着くことになるなどこの時はつゆ知らず…。
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グアテマラへ向かう人々
グアテマラ行きのバス、というよりも運転手とガイド合わせて18人乗りのやや大きめのバンは、満席だった。座席はせまく、リクライニングもない。地元の人や中米の人もいたが、ほとんどがヨーロッパやアメリカからのソロツーリストで、アメリカ人の高齢の夫婦やカナダ人の親子もいた。アメリカやカナダの人にとってメキシコやグアテマラは、日本人にとっての東南アジアみたいな感じで、どうやら気軽な旅行先みたいだ。
途中に休憩を挟みつつ、朝7時に出発したバスは昼前にはメキシコ側の国境に到着した。空は雲ひとつない晴天で、日差しがジリジリと暑い。
ここで全員荷物を持ってバスを降りた。メキシコ側で出国のスタンプをもらい、グアテマラで入国のスタンプをもらい、別のバスに乗り換えるらしい。
メキシコ出国税問題
メキシコを陸路で出国する際にひとつ不安に思っていることがあった。
メキシコに7日以上滞在した人は出国税を要求される。
というものだ。
出国税ならしょうがないのでは?と思うかもしれないが、飛行機で入国した人は航空券を購入した際に出国税が含まれていて、すでに払っているのだ。にも関わらず、請求されるらしい。二重払いだ。
請求された時の対応としては、再度払っただの、領収書があれば大丈夫だっただの、ゴネれば大丈夫だっただの、いくつかの説があって、何が本当かかわらなかったのだけど、実際に税関に行ってみたところ、ガイドに言われたのは「入国の際に払った出国税の領収書を持っていない人と7日以上滞在している人は(領収書を持っていようが)支払う必要がある」だ。確かに税関の部屋の壁にも同じ内容のこと書かれた紙が貼り出されている。「(すでに出国税を払っているのに)おかしいかもしれないけど、これはルールなので僕にはどうにもできない」とも言っていた。
で結論からいうと、私は7日間以上メキシコに滞在していなかった(なんのこっちゃ!)ので払う必要がなかった。しかし他の人によると、7日以上いた人はペソやドルで払ったらしい。
しかし、これは後から聞いた話だけど、スペイン語が堪能なS君は交渉の末に、払わずに済んだと言っていた。他の人たちは払ってたけど、自分が交渉した後はみんな払わなくて済んだとやや興奮気味に言っていた。
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歩いて国境線を越え、グアテマラの税関を目指す。両国の税関の間にも小さな商店がたくさんあり、地元の人たちは自由に行き来しているように見える。どちらの国の人なのかよくわからない。
グアテマラの税関でも無事入国スタンプをもらい、あとはバスの到着を待つばかりなのだが、なんと!バスの到着が2時間近くも遅れるという。

国境で待ちぼうけ
私はパナハッチェルという湖のほとりに面した街に行こうとしていた。他の街で降りる人やその先に行く人もいたが、ほとんどの人はパナハッチェルで降りる予定で、そこからボートで湖のほとりにいくつかある村に行くという。日が暮れてしまうとボートが終わってしまうので、気が気じゃない。
そんなみんなの不安げな空気を察したのか、気のいいジャイアンみたいなガイドがビールを買ってきてくれた。


しばらくすると、どやどやと団体が来て、その中にS君がいた。思ったよりも早い再会だ。バスの中で知り合ったという別の韓国人の男の子も一緒だった。待ちぼうけしてることを話し、S君からも先ほどのドヤ話を聞く。
ものの10分もしないうちに、S君たちの迎えのバスが来て、私よりも遅く出発したのに先に行ってしまった。
本当に2時間くらい待った頃、やっと迎えのバスが来た。一体到着は何時になってしまうのだろう。
旅をする理由
バスから車窓を眺めていると、植物の緑の色は深くなり、茂っていて瑞々しく、湿度を帯びた植物が増えた。スタバなどのコーヒーチェーンで、風景の写真が飾ってあることがあるのだけど、大体がグアテマラやブラジルの農園の写真で、まさにあんな感じだ。
山を切り開かれて作られた道路の脇は谷になっていて、下は見えないがおそらく川があるのだろう。道路脇にはポツンとポツンと民家が建っていて、家畜を育てたり、野菜を育てたりしている。籠を頭に乗せて歩いている人や脇に座り込んでいる人もいる。子供は走り、おしゃべりをする女性たち。その先には緑が生い茂る山が見える。その隣にも別の山、その奥にも別の山、その先にも別の山。遠くまで緑と空しか見えない。
夜行バスは苦痛だったけど、昼間の移動は好きだと思った。景色を眺めているだけで楽しい。写真をすっかり撮り忘れてしまったのだけど、なぜかというと隣のカナダ人のおじさんにずっと話しかけられていたからだ。
メディテーション(瞑想)を生業にしているという無精髭を生やしたおじさんは、まさにその通りといった風貌で、年中いろんなところを旅しながら暮らしているらしい(Nomadic Lifeと表現していた。)特にグアテマラやコスタリカなどの中米によく行くらしく、いかに素晴らしいかを教えてくれた。いつもはカナダから飛行機で行くのだけど、年に1回息子に会って一緒に旅をするらしく、息子の勧めで初めて陸路で来たんだと、隣で手を振る20代くらいの息子を差して言っていた。
ゆっくりと話し、じっくりと聞く人で、スピリチャルな話が苦手でなければと前置きした上で、少しだけ気の流れについてなど話してくれた。極端なスピリチュアルな話はあまり得意ではないのだけど、「エナジーを奪う人」というのは少しわかる気がした。会うとどっと疲れる人がいる。パワーがありすぎて圧倒されてしまうと言うのもあるけれど、相性の問題でもあるらしい。
君には自由なスピリットがあるとも言われた。こんなところで会って話すくらいだから、そりゃそうだろうよ。とにかく時間があったし、おじさんの空気感もあって、くだらないことまでいろんな話をした気がする。
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途中の街に寄ると少しずつ人が降りて、席が空いてきた。おじさんは、風の通る窓際の席に移動した。慣れない車移動で乗り物酔いしたようだ。歳をとると三半規管が弱まるんだ、と言って辛そうだった。
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窓の外に再び視線を移した。
山間に、日が今にも沈みそうだった。まだ到着する気配はない。窓の外の景色は、先ほどとさほど変わらない。延々と奥まで連なる山々、緑。ラオスの山奥だったか、北海道の山奥だったか、どこかで見たこともあるような気もするが、確実にはじめて見る景色。どこも住む人にとってはなんてことのないありきたりの日常の風景なのだろう。日が昇って沈む、毎日繰り返す、当たり前のこと。
でも、その時私は気分が高揚していた。
時々、フラッシュバックみたいにどこかで見た情景を思い出すことがあるのだけど、それが世界遺産だったことはないし、高名な景勝地や「死ぬまでに見たい絶景」であったこともない。もうどこなのかも覚えていない山の中でふと見上げた時の土と木と空のコントラストだとか、広大な開けた土地の真ん中で自分たち以外誰もいないことに気づいた瞬間とか、どこかの海の波の上を走るようにひかる夜光虫が美しかった、とかそんなものだ。
なんてことのない場所のふとした瞬間が、えらく心に残ることがある。そういう瞬間だった。変な話なのだけど、まるで長く旅してるような気分になって楽しくなった。
フカフカのベッドのある高級リゾートに泊まるのは楽しい。楽しいのだけど、それとは違う、地を歩いていくような旅も好きだ。移動は疲れるし、不便だし、面倒なことも多い。いまやどこにいたってインターネットで調べれば、大体の情報は手に入る。好奇心や刺激を求める気持ちも年々減るし、体力だって衰える。純粋に心から感動することも少なくなった。なのに、なんで私はわざわざ時間とお金と命を(と言うと大袈裟だけど、日常生活の方が格段に安全だろう)かけてここにいるのだろうとメキシコからここに来るまで考えていた。
人によって旅をする理由も形も様々だけど、私は確かめに行っている。見聞きした情報や経験で想像はできるのだけど、それを実感するために行く。あくまで傍観者として、そこにある日常がどんなものなのかをただ覗きにいく。私にとって旅は非日常ではなくて、日常の延長なのだ。
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「パナー、パナー」と呼び起こされた。
気づいたら眠っていた。目的地のパナハッチェルに着いた。悪路で首がむち打ちのようになっていて、痛い。
外へ出た。あたりは真っ暗だ。寒い。湖の向こうの村に行く人たちは、公共のボートは終わっていたので、プライベートジェットをシェアして行くことにしたらしい。カナダ人のおじさんにはお礼を言って、寒くて借りていた上着を返し、ハグして別れた。
長時間の移動でヘトヘトになりながら、ホテルにチェックインしてwifiに繋ぐと、S君からメッセージが届いていた。ハンバーガーショップで私の分も買ってくれていて待ってくれているという。メッセージ受信からだいぶ時間も経っていたので、急いでお店に向かった。もらって食べたハンバーガーは冷めてたけど、ものすごく美味しかった。これは優しさの味か、とか思ったのだけど、実際に味も評判の人気の店だった。
#6に続く
